当麻町の歴史と歩み
開拓の歴史
北海道の開拓と警備を目的とした屯田兵が、永山村字トオマに初めて開拓の鍬を降ろしたのは明治26年5月10日。広島、山口両県から101戸が先陣入りし、その後400戸となりました。用意された広さ16.5坪、板の間と土間の他に二間という質素な作りの屯田兵屋を母屋に家族全員で開墾にあたりました。現在の中心地(市街、中央)および北星地区から開拓がはじまり、明治27年頃からは宇園別、伊香牛地区がほぼ追給地として開拓されています。東旭川村に属していた東地区は明治38年から開拓がはじまり、大正4年に当麻へ編入されました。また緑郷、開明地区は昭和20年から戦後開拓として入植が始まりました。
村から町へ
永山村に属していたトオマは明治33年、屯田兵現役終了と同時に分離され「當麻村」となりました。漢字表記は屯田兵が麻作りを奨励しており、麻がよくとれる土地だったことから〝麻が当たる〟という意味で名付けられたといわれています。さらに昭和32年12月、北海道議会において當麻村の町制施行が決定。昭和33年4月1日に「当麻町」が誕生しました。
交通
開拓当時、隣町の愛別町との境には渡船場および駅逓があり、水陸交通の要地でした。明治22年から現在の国道39号線が起工され宇園別地区、伊香牛地区につながっています。鉄道の開通は当時の切実な願いであり、明治45年に旭川開発期成会が掲げた旭川―野上間鉄道敷設(後のJR 石北線)が當麻村を通過するか否かは、今後の発展を左右する大きな課題となりました。旭川分岐を求める東旭川村・東川村・當麻村と比布分岐を求める比布村の間の激しい争奪を経て、大正9 年に旭川分岐(新旭川駅)が決定。大正11年11月に愛別駅まで開通し、当麻には当麻駅、伊香牛駅が開業しました。
農業
開拓当初、自家用として栽培した少量の野菜、豆、蕎麦、小麦の栽培が当麻農業の起源といわれています。現在の当麻農業の主力である米は当時から栽培が行われていたという説がありますが、あくまで試験的であり量もごく少量でした。試作3年目にしてようやく約30㎏ の収穫をあげ、當麻村における水稲が有望だと認められました。明治32年には260ヘクタールを開田し、33年、42年の大規模な灌漑工事により約1130ヘクタールにおいて約277万5千㎏を収穫できるまでに至りました。凶作や2度の大戦下での不況と供出など厳しい時代を乗り越え、北海道随一の米生産地に育っています。
林業
当麻の木材は、開拓前から兵屋建設の材料として利用されていました。上川地方において、林産物として活用されるようになったのは移住者が増え始めた明治30年代からといわれています。当時の需要は角材、丸太、薪などでしたが、大正初期にかけて建築材、電柱材、枕木など、時代の発展とともに発展しました。
商工業
屯田兵入埴時、すでに本村である永山には商工業が発展していましたが、それでは足りず、荒物業を当麻に開業したことが商業の始まりとされています。明治33年の屯田兵役終了とともに土地の売買が可能となり、さらに当麻における米栽培の黎明期であったことから、徐々に開業が始まりました。大正11年の鉄道開通も発展の大きな助力となりました。
学校
屯田兵の家族には、学齢期の児童も相当数いたといわれています。これを予測し、兵屋建築とともに学校校舎の建築が進められていました。当麻における初めての学校である南北両小学校(現在の当麻小学校)が開校したのは開拓と同じ明治26年9月です。伊香牛小学校(平成17年閉校)は簡易教育所として明治34年に開校、宇園別小学校は同じく簡易教育所として明治36年、北星小学校(平成15年閉校)は当麻尋常高等小学校北分教場として明治41年、東小学校(昭和43年閉校)は東旭川村当麻教育所として明治43年、開明小学校(平成19年閉校)は当麻尋常高等小学校所属熊の沢特別簡易教授場として昭和8年、緑郷小学校(平成10年閉校)は北星小学校緑郷分校として昭和22年に開校しています。当麻中学校は当麻小学校と校舎併用する形で昭和22年に開校しています。
消防組織
明治42年、宇園別で大火があったことがきっかけとなり、有志の発起で腕用ポンプを購入し、私設消防組を組織したことが消防組織の起源となっています。その後、市街地においても、街の発展に伴い火災の危険が増したため、明治44年に有志により私設消防団が創立しました。二組の消防組は大正3年に公設消防組として認可されています。大正10年から消防団の無い地域において、それぞれ設消防団が設立されはじめ、公設となり、現在は各地区ごとに計6分団の消防団が組織されています。
郷土資料館ここから
当麻の歴史文献や資料を収蔵している「郷土資料館ここから」。この建物は初代役場庁舎として大正15年に建築されたものです。当時としては非常に珍しい鉄筋コンクリート2階建て。当時の面影をできるだけ残し令和3 年に郷土資料館としてリニューアルしました。2階には町内に現存していた屯田兵屋をそのまま移築し、当時の生活を再現している他、農機具や生活道具、文献などを展示。1階はコミュニティスペースとなっており、自由にご利用いただけます。